おすすめアーティスト vol.96 ピアノ 舘野泉

vol.96 ピアノ 舘野泉

演奏生活60周年記念でリサイタル
84歳の「左手のピアニスト」
「ピアノは毎日2時間ぐらい弾きます。
ピアノを触ると生きていると実感できます」

 脳溢血で倒れ、「左手のピアニスト」として復活した舘野泉が今秋、演奏生活60年のリサイタルを行う。84歳となった心境を、「年を重ねる喜び、悲しみ、辛さ、死と隣り合わせと感じる孤独。しかしそこにある潔さ、面白さ、暖かくて悲しくて素晴らしい今」とチラシにつづっている。コロナのため飛行機が飛ばずフィンランドの自宅に帰れないという。周囲の喧騒が嘘のような都会の日本家屋の自宅で、「悦楽の園」と題されたリサイタルのことなど話を聞いた。

─今年は演奏生活60周年です。
 大学を卒業した年の9月、正式なデビュー・リサイタルをしました。僕らのころは、学生は学外で演奏してはいけなかったのです。学校の奏楽堂ではずいぶん演奏しました。
小学校4年生と6年生のときに全日本学生音楽コンクールを受けました。1等になった6年生のときはパデレフスキの「主題と変奏」を弾いたのですが、4年生のときはドビュッシーの「子供の領分」でした。当時、小学生がドビュッシーを弾くのは珍しかったのです。
 小学校5年生から高校2年まで、豊増昇先生につきました。先生はドイツもの、バッハとベートーヴェンの権威でした。僕はドイツものに興味がなくて、先生もそれが分かったんだと思います。困ってしまって、こういう曲があるよと出してくれたのが、ムソルグスキーの「展覧会の絵」とグラナドスの「ゴイェスカス」です。「展覧会の絵」は当時、オーケストラ曲と思われていましたから、ピアノで弾く人がいなかったのです。
 この2曲が生涯のレパートリーになりました。「展覧会の絵」をインドで弾いたことがあります。現地で「(インド人の)メータ指揮ロサンゼルス・フィルの『展覧会の絵』より素晴らしかった」と批評が出ました(笑い)。

─ピアニストならベートーヴェン、ショパンを弾くのが当たり前ではありませんでしたか。
 ショパンは好きですけど、自分では弾けないなと、と思ったのです。ソナタ第3番、バラード第4番などはいいのですが、弾いても音楽が生きてこないのです。ベートーヴェンもそうです。「ディアベリ変奏曲」やソナタ第32番は弾きますが、ほかはさまにならないのです。モーツァルトは何を弾いても自分ではだめだと思っていました。自分が音楽と溶け合っていないのに、どの音楽をお客様に聴かせることは申し訳ないですから。
 バッハもずっと弾きませんでした。バッハを初めてステージに載せたのは、左手だけになった67歳の時です。今回のリサイタルで弾く「シャコンヌ」です。
 ブラームスが右手の練習をしすぎのクララ・シューマンのために、左手だけで弾くように編曲しました。ヴァイオリンの曲ですから単音で動いていて、最初はつまらない曲だなーと思ったのです。それが2カ月ぐらいたって、音楽が生きてきたのです。それから700回ぐらい弾いていますが、全然飽きない。いい曲だと思います。

─ちょうど60年前の演奏が発掘され、CDで発売されました。ショーソンの「ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏曲のための協奏曲」です。
 ショーソンが大好きでした。私は藝大3年、妹の晶子は2年、そしてヴァイオリンの浦川宜也を始め、他の奏者は皆藝大附属高校の3年生でした。奏楽堂は満席でした。奏楽堂ではいろいろな曲を演奏しました。フィンランドのパルムグレンのピアノ協奏曲第2番「河」を日本初演しました。指揮は山本直純さんでした。すごい才能でした。

─安川加寿子先生には大学院に進むように言われたけれど断ったそうですね。そしてフィンランドに行きます。
 レオニード・コハンスキ先生と3人の先生に習いましたが、先生方はみなしばらくすると、君は何をやってもいいと言われるのです。この曲をやってきなさい、と言われなくなるのです。いろんなものをやりたい子、きちんと勉強するのが好きな子というのが分かるのでしょう。
 安川先生には大学院で勉強するのはもういいです、と断ってしまいました。ハスキル、バックハウス、リヒテル、ケンプなどあこがれのピアニストはいましたが、習う気持ちは全然ありませんでした。いろいろな経験が音楽になる、いろいろな人と話すことで自分の音楽になる、という気持ちが強かったのです。

─60周年のリサイタルのタイトルは「悦楽の園」です。チラシには「苦海浄土を抜け、夢の王国を過ぎ、悦楽の園に至る。そしてその後は…」とあります。
 60周年なので出だしに戻ってみようと全部ソロの曲にしました。光永浩一郎さんはピアノを上手に使います。熊本の人で、「苦海浄土」は水俣病を書いた石牟礼道子の本です。
 エスカンデはアルゼンチン出身ですが、京都に住んでいます。作品はボッシュの祭壇画「悦楽の園」からインスピレーションを受けています。私もボッシュの絵が前から好きでした。「悦楽の園」は天国と地獄は紙一重で、両方が別々にあるのではなく、つながっている、ということ言っていると思います。

─2002年に脳溢血で倒れ、左手のピアニストとして復活。この60年間を振り返って、いかがですか。
 左手だけで演奏するには、両手のときとは体の使い方を変えないといけませんでした。肘から先を大きく使います。両手のときの指使いは忘れてしまいました。新しいことを覚えるのです。だからこそおもしろいのです。
 脳溢血で倒れて、復活するまでの2年、ピアノを全然弾きませんでした。音楽を聴くこともしませんでした。弾くと聴くとでは全然違います。今、みなさんが聴いてくださって、こうして弾けるのがありがたいです。よくやってきました。藝大を出てから4、50代までは8時間ぐらい、今は1日2時間ぐらいピアノを弾いています。好きでやっていることですし、疲れることはありません。ピアノに触ると生きていると実感できます。

Izumi Tateno

1936年、東京生まれ。60年、東京藝術大学首席卒業。64年よりヘルシンキ在住。81年以降、フィンランド政府の終身芸術家給与を受けて演奏生活に専念する。これまで北米、南米、ロシア、ドイツ、フランスなどヨーロッパ全域、中国、韓国、フィリピンなどアジア全域、中東でも演奏会を行う。リリースされたLP/CDは130枚に及ぶ。2002年に脳溢血で倒れ、右半身不随となるが、「左手のピアニスト」として活動を再開。捧げられた作品は100曲を超える。80歳傘寿記念公演では、捧げられた作品2つに加え、ラヴェル、ヒンデミットと計4つのピアノ協奏曲を一気に演奏。2019年は日本とフィンランド国交100周年親善大使として、ラ・テンペスタ室内管弦楽団日本公演を5都市で行った。

ここで聴く
■コンサート

演奏生活60周年 舘野泉ピアノ・リサイタル「悦楽の園」

11月10日(火) 19:00 東京オペラシティコンサートホール

J.S.バッハ(ブラームス編):シャコンヌ
スクリャービン:「2つの左手のための小品」より「前奏曲」「夜想曲」
光永浩一郎:苦海浄土によせる海の嘆き/フーガ/海と沈黙(世界初演)
新実徳英:夢の王国─4つのプレリュード 夢の砂丘/夢のうた/夢階段/夢は夢見る(委嘱作・世界初演)
パブロ・エスカンデ:「悦楽の園」(委嘱作・世界初演)

10/24福岡、10/25札幌、11/3藤沢、11/7南相馬などで開催予定

■問い合わせ:ジャパン・アーツぴあ ☎0570-00-1212
※一般発売は8月予定

■CD

ショーソン:ヴァイオリン、ピアノと弦楽四重奏曲のための協奏曲

舘野泉(ピアノ)
浦川宜也(ヴァイオリン)
舘野晶子(ヴァイオリン)
林瑤子(ヴァイオリン)
白神定典(ヴィオラ)
舘野英司(チェロ)
(ヒビキミュージック)HMOC-17852

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